蛇之淫作者:沧海有泪,桑田遗珠/玖公子/艾卡
第47章
梨の花、世にすさまじく怪しき物にして、目にちかく、はかなき文つけなどだにせず、愛敬おくれたる人の顏など見ては、たとひにいふも、實にその色よりしてあいなく見ゆるを、唐土にかぎりなき物にて、文にも作るなるを、さりともあるやうあらんとて、せめて見れば、花びらのはしに、をかしきにほひこそ、心もとなくつきためれ。楊貴妃、皇帝の禦使に逢ひて泣きける顏に似せて、梨花一枝春の雨を帶びたりなどいひたるは、おぼろけならじと思ふに、猶いみじうめでたき事は類あらじと覺えたり。
桐の花、紫に咲きたるはなほをかしきを、葉のひろごり、さまうたてあれども、又他木どもとひとしう言ふべきにあらず。唐土にことごとしき名つきたる鳥の、これにしも住むらん、心ことなり。まして琴に作りてさまざまなる音の出でくるなど、をかしとは尋常にいふべくやはある。いみじうこそはめでたけれ。
木のさまぞにくげなれど、樗の花いとをかし。かればなに、さまことに咲きて、かならず五月五日にあふもをかし。”
(树木之花,无论浓淡,以红梅为佳。樱花则以花瓣大,色泽美,而开在看来枯细的枝头为佳。
藤花,以花串长,色泽美丽而盛绽者为最可观。
山梅花虽格调略下,无甚可赏,不过当其满开之际,倒也不错,尤其想像或有子规栖隐花荫,便更觉得有情味。
贺茂祭的归途上,走过紫野附近的庶民平房,见矮墙之下,白色的小花纷纷开遍,著实耐人寻味,那情景,彷佛黄绿色的袍子上加添了一袭薄薄的白上衣似的,至於无花处,则好比黄色的衣裳。
四月末、五月初,橘树的叶子浓密青翠,花色分外显得净白,晨雨之中,乃有超绝尘世之美,令人赏心悦目。
至若那花间疑是金丸果实,晶莹剔透,则其景其情,毫不逊於朝露濡染的樱花风采了。
或许是每常令人联想到子规来栖的缘故罢,遂更有不可言喻之情趣。
梨花,世人往往视作凄凉哀艳之花,无人赏爱,亦无人用以系结信笺,见著无甚魅力的女子,便以为比拟,盖以色泽乏善可陈之故;唐土却以为无上可人之物,竟以之入诗文,则或者总还是有些道理的罢?
乃仔细端详之下,隐约可见,花瓣边缘似有一圈高贵美丽的颜色。
杨贵妃在蓬莱仙宫会见玄宗皇帝御使,有诗句喻其泪容曰:梨花一枝带春雨,想来必非泛泛一般之赞美,则此花大概自有其无可类比之处才是。
桐花开成紫色,委实好看。只是那叶子展开成巴掌一般大,有些拙笨气,但我不便拿此与别的树木相提并论。
据说唐土有所谓凤凰者,特选此桐木椅栖息,那就格外有意思了。
何况,取此木材制成琴,弹奏出种种妙音,又岂是世间一般语言所能形容的呢?确实美妙至极!
至於栴檀,树长得样子并不好看,而花倒是挺可观的。那花儿看来像似风乾了一般,别饶风味,逢著五月五日必开,也是有趣得很。)
精致的文字,精致的书法,写在象牙白色的皮肤上。
虽然是六月,夜晚还是有些寒冷,怜一打了个冷战,於是,写在背上的文字便似得到了生命,异常妖娆。
“只是这些?”
鹰司的问话让怜一的头更低了。
“……在腿上,也有一些。”
“让我看!”
怜一有些勉强,但最终,还是将双腿打开。
一边的腿上,写上的话,显然是月对怜一的讽刺。